沖縄は海もきれいで食べ物も健康的で美味しく、帰りたくないと思うくらい好きになりました。 しかし国道58号線は民間の主要交通網なのに基地や弾薬庫の出入り口が混じり、学校や公園が危険地域になっています。美しい辺野古の海に巨大な滑走路が埋め立てられ、なんとも不釣り合いです。基地と民間地域を隔てるフェースは先端がこちら側に突き出ていて違和感がありました。
 1日目に訪れた「不屈館」は沖縄の祖国復帰と平和な社会の実現をめざし命がけで戦った、瀬長亀次郎(元衆議院議員)の資料館でした。民衆の苦しみや困難に寄り添い、声をあげられない人たちの代弁者を貫き、理不尽な出来事にも動じず愛する沖縄や民衆を守った不屈の魂を知りました。戦後の米軍占領での沖縄の歴史を学べた旅のスタートに意味深い場所でした。
 2日目は、ひめゆり資料館です。「お国のため、天皇陛下のため」と戦い傷ついた兵隊さんが死に際に、「お母さん…」と言って息を引き取る。「どうして天皇陛下万歳と言わないのだろう…。」「お国のために必ず勝つ」と誓い合ったのに解散命令が出るとそれぞれ行きたいところに行きなさいと見捨てられる。当時教師を目指した若者たちが沖縄戦の陸軍病院に動員され、生き残った方たちの証言映像や文集を見ました。ガマ(自然豪)での集団自決の真相も知りました。「ペンションまーみなー」のメッセジシンガー会沢芽美さんの一人芝居も衝撃でした。命拾いしたと逃げ込んだガマで、守ってもらえると思った日本兵に赤ん坊の泣き声が許されず、手をかけてしまった母親を小樽出身の会沢さんが表現されていました。他人事ではなく目を背けてはいけない真実と向き合ったひと時でした。戦争の悲惨さ、犠牲になった人々の無念さを痛感する1日でした。
 3日目はグラスボートで大浦湾海底のサンゴ礁を見ました。砂浜で貝殻や小さく砕けたサンゴ礁を拾い集めて楽しみました。その後辺野古基地反対行動のテント訪問とキャンプシュワ―ブゲート前の座り込みです。ツワーガイドの横田さんから説明を受け、自らは動かないと意気込んで座り込みましたが、サングラスをかけた機動隊が何人も現れ、そのうちのひとりに「自分で動きますか?」と声を掛けられました。息子と同年代であろう若者に抱えられてどかされるのも本意ではないと思わず立ち退いてしまったけど、切なさと悔しさで涙が溢れました。現地で座り込みをしていた女性のゼッケンにはカラフルな色で花やジュゴンがプリントされていて「平和が一番」「戦うのではなく愛し合おう」と書かれていました。土砂を積んだダンプの運転手には賃金がいいからと知り合いの女性もいると教えてくれました。私には機動隊員や女性の声が悲しげに聞こえ「このような事をさせているのは誰だ!」との思いで増々怒りと涙が止まりませんでした。グラスボードのお兄さんが「基地で働く現地の人は賛成でも反対でもない。仕事としてやっている。」と話されていましたが、故郷の自然や暮らしを壊す作業に加担し、子どもや孫のために奮闘している地域の人たちを泣かして得るお金って何なのだろうと考えさせられました。
 最終日は比嘉沖縄県会議員と懇談。繰り返される米兵による少女暴行事件・県民の怒り・日米地位協定の見直しの必要性について話されました。辺野古の埋め立てがいかに税金の無駄使いであり、ゼネコン、軍事産業優遇で、沖縄県民の「平和に暮らしたい、故郷の自然を守りたい」あたりまえの願いに背を向けたものかがわかります。
 普天間基地が屋上から一望できる佐喜眞美術館で「沖縄戦にまきこまれた少年の物語」の絵本を買いました。私に出来る事は沖縄が好きになる。沖縄を大切に思う。これ以上沖縄を犠牲にするな!と声をあげていきたいと思いました。念願の沖縄ツアーは、リゾート地である贅沢と沖縄の現状をこの目で界隈見た有意義な大人の修学旅行でした。旅システムやツアーガイドの皆さん、一緒に参加された皆さんに感謝いたします。

2025年2月7日 札幌市北区在住 阿部律子